チャモロ語の歴史と継承
グアムやサイパンを含むマリアナ諸島の言語、チャモロ語。西はマダガスカル、東はイースター島、北はハワイ、南はニュージーランドと広範囲にわたる各言語のルーツとなっているオーストロネシア語族に含まれる。チャモロ語はさらにその中でマレー・ポリネシアン語派に分類されるが、その語派に属する他の言語とは明らかに異なった特徴を持つ。唯一共通点を持つのはインドネシア語で、1521年にマゼラン一行がグアムに上陸した際、インドネシアのモルッカ諸島出身の従者が、一度もグアムを訪れたことがないのにチャモロ人と言葉が通じたという逸話が残されている。
オーストロネシア語族はフィリピン、インドネシア、メラネシア方面とポリネシアやミクロネシア地域方面へと渡り、グアムへは太平洋諸島への初の移住者と共に4000年以上も前に伝わる。そして太平洋地域最古の言語として数千年をかけて独自の発展を遂げていく。
マゼラン上陸を機に、チャモロ語は大きな変化を迫られる。最も影響を受けたのはスペイン語。333年にわたるスペイン統治時代、クリスチャンへと改宗した島民は宣教師の教えを理解するためスペイン語を学び、チャモロ語に存在しなかった言葉はスペイン語を基に新しいチャモロ語として取り入れた。
この時代に失われたチャモロ語の言葉は数多い。代表的なものは数字と挨拶。現在チャモロ語として使われている数字の1、2、3はウヌ(1, unu)、ドス(2, dos)、トレス(3, tres)。「おはよう」は「ブエナス ディアス(buenas dias)」。多少綴りや発音と異なるものの、ほぼスペイン語をそのまま代用している。他にも「話す(talk)」は「クエントス(cuentos)」、「今何時ですか」は「キ オラ エス?(ki ora es?)」など明らかにスペイン語由来の言葉が数多く存在する。
本来のチャモロ語の数字は対象によって呼び方が違っていた。基本はハチャ(1, håcha)、フグア(2, hugua)、トゥル(3, tulu)。人や動物など生命あるものを数える時はマイサ(1, maisa)、フグア(2, hugua)、タトゥ(3, tatu)、物を数える時はハチザイ(1, hachiyai)、フギザイ(2, huguiyai)、トトゥグザイまたはトギザイ(3, totguiyai or togiyai)と使い分けていた。
(チャモロ語研究に携わるロナルド・ラグニャ氏)
色も同様で現在のチャモロ語の色を表す言葉はほぼスペイン語と同じだが、チャモロ語研究に携わるグアム教育省のロナルド・ラグニャ(Ronald Laguaña)前省長によると、チャモロ語には赤・黒・白を表す言葉があったという。この3色はサクマンと呼ばれる航海用のカヌーなどに使用されていた色だ。
1898年パリ条約によりグアムがアメリカ海軍統治下に入ったことも、チャモロ語の継承に大きな影響を与えた。当時人口の75%がチャモロ語を、50%がスペイン語を流暢に話し読み書きができた。しかし1917年アメリカ海軍 により公の場でチャモロ語の使用が禁止され、チャモロ語英語辞書が燃やされるなど英語教育が徹底された。
太平洋戦争中の旧日本軍によるグアム統治下では日本語教育が要求され、旧日本軍は7〜16歳を対象にした日本語学校を開校。大人には寄宿学校で日本語を教えた。戦後、再びアメリカ海軍による統治に戻った後もチャモロ語の使用は禁止され「Speak in English only(使用は英語のみ)」と書かれた看板が学校、企業オフィスなどの公の場に設置された。
人口の約75%が流暢にチャモロ語を話していた1900年初頭から1970年にはその数は20%以下にまで減少。この状況に危機感を抱いた島民はチャモロ語の復活と保護を求めて立ち上がり、1973年7月グアム教育省はチャモロ語促進プログラムに関する法律を制定。翌年カルロス・カマチョ前グアム準州知事はグアムの公用語をチャモロ語と英語の二言語とする法律に署名。1977年フランクリン・キタグア上院議員が提出した、全公立小学校でのチャモロ語の必須科目化の法案も成立した。近年では2013年、同法律が公立中学と高校(7〜10年生)にも適用された。
(チャモロ語のアルファベット。チャモロ語は「R」の文字を持たないが、便宜上含まれることが多い)
また、各言葉の綴りについてはさまざまな議論が交わされてきたが、昨年2018年、チャモロ語におけるアルファベットで「CH」と「NG」が一文字であることが公式に認められた。本来の発音をより正確に表したもので、これにより長年「Chamorro(チャモロ)」と綴られてきた言葉は「CHamoru」に変わり、現在グアム政府が発行する書類にも「CHamoru」が用いられている。
(グアムミュージアムのギフトショップにはチャモロ語の絵本などが数多く登場)
一度失いかけた言語の復活は容易ではないが、前述のロナルド・ラグニャ氏はスタッフとともに、チャモロ語及びチャモロ文化の保護・継承に尽力する。近年ではチャモロ文化に関する教育指針を改訂、さらに幼稚園、小・中・高校のチャモロ語教材を一新した。
(チャモロ語をテーマにした映画は2016年パシフィカ映画祭で最優秀ショートフィルム賞を受賞)
またロナルド氏はチャモロ語を題材にしたアニメ『グアムを救ったチャモロの少女マイサ(Maisa the CHamoru girl who saved Guåhan)』の制作にも関わる。このアニメにはグアムの小学生もストーリーやアート制作に携わり、グアムのテレビチャンネルKUAMやPBGで放送される他、いくつかの国際映画祭でも上映。2016年パシフィカ映画祭では最優秀ショートフィルム賞を受賞するなどチャモロ語に対する関心を深め、グアムの人々の大きな誇りとなった。
(グアムミュージアムの壁にはチャモロ語でグアム島歌の歌詞が書かれている)
「チャモロ語を流暢に話す人はまだまだ少ないが、より多くの人がチャモロ語を使うことによって維持することができる」とロナルド氏は語る。彼は2歳の孫との会話はチャモロ語のみだという。チャモロ語を話せない父親とは英語を使い、2言語を使い分けている。「子供の言葉の吸収力は驚くべきものがある。幼い頃にチャモロ語を学ぶことが、次世代への継承につながっていく」と今後のチャモロ語の発展に期待を寄せる。
(ラッテストーン公園など歴史遺産の看板は英語とチャモロ語の両方が併記されている)
太平洋地域最古の言語、チャモロ語。いつの日か「ブエナス タトゥデス(Buenas tåtdes, スペイン語由来のチャモロ語「こんにちは」の意味)」ではなく「ミナゴフ ハアニ(Minagof Ha’åni, 古代チャモロ語「こんにちは」の意味)」と挨拶できる日を信じて。