<雑誌アイランドタイム. 2015年掲載記事>
日本から移住してきた家族のストーリー
1868年は日本の近代史上大きな転換期となった年です。江戸幕府が消滅し、政府による天皇親政体制の下、近代的な新政府成立を宣言し、「明治」の時代が幕を明けます。同年5月2日(江戸開城の前日)に横浜駐在のハワイ領事ヴァン・リードの斡旋で42名の日本人が当時スペイン領だったグアムへ向かいました。ヴァン・リードは江戸幕府から渡航印章(旅券)の発給を受けていたものの、明治政府がこれを認めず許可のないまま渡航を強行する結果となりました。一行は38日間の船旅の末にハガニア港へ入港し、スペイン総督フランシスコ・モスコソ・イ・ララに引き渡され、数年間農耕開拓に従事したと言われています。
明治元年の移民者はのちに「元年者」と呼ばれるようになりました。グアムは近代日本の海外「移民」が最初に目指した場所なのです。その後、グアムへ組織的な集団移民は行われなかったものの、地理的な優位性や南洋貿易の拡大もあり、個人レベルでグアムを目指す人が続いたと思われます。グアムで耳にする日本名の名字、そのファミリーヒストリーは明治大正時代に異国で生きた逞しい日本人の軌跡です。グアムに根を下ろし、地元の人々に溶け込んでいきた勇敢な明治の男性たちのお話です。
清水ファミリー
清水カツジは1873年、茨城県古河市で産声を上げます。のちに薬剤師になるために上京しますが、そこで南洋貿易をする親戚に出会い、仕事を手伝うようになります。その後、小笠原諸島、1894年にはマリアナ諸島サイパン島へ渡りました。薬剤の知識があったことから人々へ薬を処方することもあり、地元の人々から快く受け入れられたそうです。
グアムの主要産業だったコプラ産業。
ココナッツから胚乳を取り出し、乾燥させている様子。
サイパン島ではコプラ(ココナッツの胚乳と乾燥させたもの)の貿易会社の支社長としてビジネスを拡大。土地を購入し、ココナッツの栽培を始めます。ビジネスは順調に運び、大型船舶トラ丸を購入します。数年後にはチャモロ人のパートナーのべドロ・バンガリーナン・アダとドイツ人のパートナーのフリードリッヒ・ウェラーとともに貿易会社を立ち上げ、サイパンだけでなくグアムやロタへ貿易事業を広げます。
1896年にカツジはカトリック教徒に改宗し、名前にホセを加えました。3年後の1899年、マグダレナと結婚し2人の子供を授かります。しかし幸せは長く続かず、1902年マグダレナは亡くなってしまいます。その後、カツジはココナッツの栽培のために土地を買ったグアムへ移住し、J.K.シミズジェネラルストアを設立します。
グアムに移り、再婚したコンセプション・トレスとの若き日のカツジ
グアムではコンセプション・トレスという女性と再婚し3人の息子と女の子1人をもうけますが、不運な事に末息子のアンブロシオを出産の際に、またしても妻がこの世を去ってしまいます。
プライベートでは不運に見舞われますが、ビジネスは軌道に乗り、800エーカーを超える土地を所有してココナッツを栽培。さらに大型船舶「マリアナ丸」を購入します。直営店舗では日本商品を販売し、同時に島内の商店への卸業務も行っていました。その他にも遠洋漁業、ビリヤード場の経営、グアム島で初となるアパートメントスタイルの家もハガニアに建設しました。
1914年、アメリカ政府はアプラ港への他国船の入港を禁止します。しかし、日本人移民のカツジは現地人とみなされ、港への出入り、及びグアム・日本間の貿易を許可されます。この頃からシミズ一族にはココナッツの殻という意味を持つ「カチャ」というチャモロ一族の名前が与えられました。
グアムで生まれた4人の子供のうち、唯一アンブロシオだけがカツジの仕事に興味を持っていました。しかし、第二次世界大戦の勃発で順調だったビジネスが陰りを見せ始め、その頃カツジは突然行方をくらませてしまったのです。
終戦を迎え、アンブロシオはヴィンス・スミスとベン・パロモというパートナーとともに事業を起こす決意をします。こうして誕生したのがアンブロス社です。タバコ、ビール、その他の生活雑貨などアメリカ軍の余剰物資を買い入れ、島民に販売しました。
1949年には、ミズーリ州セントルイス出身のヴィンス・スミスがアンハイザー・ブッシュ社(アメリカ大手のビール会社)に手紙を送りバドワイザーの販売権を申し出て、グアムにおける代理店契約を獲得しました。半信半疑のうちにオーダーした最初のバドワイザーは500ケース。入荷するやいなや一週間足らずで完売します。次の出荷では3倍に増やしますが、これもまた一週間もせずに売り切れてしまいました。当時バドワイザーは大変な評判になったと言います。近年にはグアムは一人当りのバドワイザーの消費量が世界一をいう記録も更新しています。
アンブロシオはラスパロモ・サンニコラスと結婚し、フランク、ジョー、ポールの3人の息子、そしてコニーという娘を授かります。3人の息子は若くしてビジネスを継ぎ、アンブロス社を発展させ今日に至ります。兄弟で会社経営へ勤しむ傍、公職に就いたり、ラジオアナウンサーとして活躍したり、シミズファミリーはグアムの社会に溶け込み、厚い信頼を得ているのです。
Photos courtesy of the Shimizu families, MARC and Guampedia
(Island Time vol.33, 2015年7,8,9月号掲載記事一部抜粋)